海のロランティーヌ

南フランスの美しい風景、レシピ、それからフランスの今…

記憶の中の日本人

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すこし昨日書いたことと連絡しています。
おじさんがすぐ自分を日本人とわかったのは仕草のせいだろう、と書いたのですが、

 

今、「青春」とか「はじける若さ」といった言葉はもう自分に付かず「まだ若いから」に変化したのをしっかり自覚したあたりから、自分の仕草が、すごく「いわゆる日本人」ぽくなってきたな、と感じるようになってきました。
猫背とか内股とかそういうわかりやすいことではなくて、なんというか、祖母やその知人たちが昭和の記憶の中でしていたように、会釈するときこれまでは一度だけはきはきと頭を上げ下げしていたのが、二、三回ゆるやかに上げ下げするようになったとか、しゃがんでものを拾うときに息を少しだけ吸うとか、日傘をたたむときに首を少しかしげるとか、電話したときの何気ないあいづちの仕方が母に似ててはっとしたり、そういうほんとうに些細なことが、日本人ぽくなっていっています。
外国にいるからこそそういう小さな動きの違いがはっきり目につくのか、それとも単純にわたしが記憶の中の大人の女性たちに似ていっているのか、味わい深いです。

今日町で、電話を切るときに、なぜかスマホを一度大きく下に振りつつ通話終了ボタンを押すフランス人女性の仕草を見て、あこれもフランス人の動きだなあと少し思いました。




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